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2015年11月8日(日)から2016年2月14日(日)まで東京都現代美術館にて「オノ・ヨーコ|私の窓から」が開催された。
1933年に東京で生まれたオノヨーコは、幼年時代を東京、ニューヨーク、サンフランシスコで過ごし、第2次世界大戦前に日本に帰国。戦後は東京とニューヨークで過ごした。1950年代からニューヨークでアートや音楽を学び、作家として活動を開始、1960年代から東京やニューヨーク、ロンドンなど世界各国で作品を発表してきた。国境やカルチャーを超えて活躍しているが、本展は彼女の故郷である東京との繋がりに焦点を当てている。
本展では、オノの東京での創造活動や近年の作品を、4つのセクションに分かれて現在から過去へ逆行するように遡っている。特に1つめのセクションと3つめのセクションが強く印象に残った。
1つめはオノ自身に関わる様々な暴力と、世界で起きた戦争になどによる暴力をテーマにしたセクション。1990年代〜現在までの作品が展示されている。
広島やサラエボ、ニューヨークなどで起きた出来事の日付と都市名を虫籠に刻印した「クリケット・メモリーズ」を発表している。
「穴」は、銃弾で打ち抜かれたガラスで、裏側に回ると厚さ約1cmのガラスを貫通して自分の方へ突き刺さってくる弾丸のエネルギーを感じ、最初に感じた美しさから一転、徐々に恐怖感を感じる作品だ。
セクション1
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本展のメイン画像にもなっている「私の窓から セーラム1692」
http://claudecour.jp/yokoono.html
オノが幼少期に見た魔女裁判の絵画と、幼少期のオノ本人、そしてオノの自宅の窓を重ね合わせた作品。
ジョン・レノンと結婚したオノは「ビートルズを解散させた東洋の魔女」と糾弾され、魔女扱いされる理不尽さが暗示されている。
それでもオノは窓から世界を広く見ようとした。「私の窓から見た世界と私の世界は違う。私の中に客観的なところがあったことが、私の救いになった。自分に溺れなかったから助かった」とオノは言った。
3つめのセクションでは観客が舞台上のヨーコの服を思い思いに切り取っていく「カット・ピース」の映像が流れていた。
カット・ピース
オノが舞台に座り、観客が一人ずつ彼女の服をハサミで切り取っていく。
最初は遠慮がちに切り取る人が多かったが、彼女から服を奪おうという欲望が表れてきて、彼女の肌がみるみる露出していく。下着の紐まで断ち切られ、手で胸部を隠すところまでいくのは衝撃的であった。
しかしオノの顔はとても静かなのだ。彼女は身じろぎせずに、それを受け入れるのだが、露骨な切り取りには無言の怒りや嫌悪感が黒い瞳に浮かんだ。
人間の持つ暴力性を引き立つような、体当たりのパーフォーマンス。性差と女性の社会からの圧力が感じられた。
男女の平等性を訴えた「私たちはみんな水」
一列に並んだお椀の前には、ブッダやヒトラー、ウォーホルなどの著名人の名前が書かれたプレートが置かれていた。
この作品についてオノは、「人間の成分はほとんどが水で、蒸発すればみんな同じ、みんな平等だということ。他人を批評しても結局みんな同じ。」と語っている。
セクション3
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記者会見に出たオノは、「最後に覚えている東京は爆弾で焼けたイメージが強く、食べるものもなかった」と言い、戦後の東京は「新しい国のよう」と話す。「これまで自分の作ったものを大事にしてきた」という制作については、「人を"勧誘"できるアートを作るのは面白いんじゃないかと思って」と他者との繋がりを意識しているという。
最後に「必要のない人なんて一人もいない。皆さんの人生を大事にしてください」と会見を締めくくった。
オノの作品は、平和運動や女性解放運動など、政治色の強い作品が有名で、一見美しい作品に見えてもその背後には暴力や陰惨な事件への抵抗が隠されているような作品が並んでいた。
人の思想や理念は各々異なるが、平和というのは誰しもが望むものであり、人の本質であると感じた。
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